gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


創造性は真似から始まる

戦後、レッジオ・エミリア Reggio Emilia というイタリアの街で始まった幼児教育では、子どもたちそれぞれの個性を最大限に伸ばそうという姿勢が、貫かれているように見える。

このやり方は、幼児に限らず大人にも役立つのではないかというのがぼくの予想。

たとえば、独学や在野研究とよばれる生き方、ぼくたちおっさん (女性も含みます) が日々出会う大小さまざまな問題を整理したり、自分なりの解決策を見つけたりする作業に、応用できるのではないか。

たとえば、創造性を発揮する道具としての真似。

何もない空間、白い紙の前で「自分の好きなことをこの紙の上で表現しなさい」と言われても、どうすればよいかアイディアを思いつく子は少ないだろうし、途方に暮れることを繰り返すうちに白い紙を恐怖と感じ始める子もいるだろう。

だからその対策として、まず子どもたちが真似したくなるような例を用意する。そして、その例を見たり触ったりしてもらいながら、それを真似してつくる作業から始める場を用意する (M Resnick. Lifelong Kindergarten)。

この真似は、「写経」と呼ばれる見本になる文章やコードをひたすら書き写すという作業に似ている。真似るプロセスの効果を積極的に捉えたもの。

そして、このレッジオでは、真似ることで学ぶという効果からもう一歩進み、創作活動のはじまりのハードルを低くするためにも真似するというプロセスを使っている。

まずは目前にあるかっこいい作品を真似することからはじめる。そうすることでしごとを始めることができる。始めたしごとがあれば、それを続けるだけでいい。

これは、なかなかすごいことじゃないかと考えていたら、アウトライナーの Tak. さんが、似たアイディアを記事にしていた。

他人の文章を補助線として使う

ここに書かれてあるアイディアは、創作活動の出発点として真似を使おうというレッジオ活動の考え方と共通していると、ぼくは理解している。

では、真似を真似で終わらせずに、別のアイディアに育てるにはどうすればいいか。

その方法として、自分で手を動かし自分でそれをつくってもらいながら、実験する。実験するとは、いろいろつついてもらうこと。見本に自分のアイディアを掛けて、いじってみること。

つついたりいじったりしながら、見本から外れることをよしとする。いや、むしろ積極的に応援する。

最初は恐る恐るのこともあるだろうし、見本の「良さ」を台無しにすることも多いだろう。

でも、その「失敗」すら次のつつきまわしで、別の「良さ」に変わることもある。あるいは、もう「良い」も「悪い」もなく、周りも見えなくなって、ある「ゴール」へ向かってひたすら、つつきまわし続けることもあるだろう。

その「ゴール」は、最初の見本が見せてくれたものとは無関係に見える、全く違う「ゴール」であり、今すすめている作業自体の「失敗」や「成功」に依存してどんどん変化するダイナミックな「ゴール」である。

そうする中で、真似の見本だった出発点の作品は、子どもたちそれぞれの言葉になる。真似から始めることで、始まりのハードルを取り外し、真似しているものをつつきまわすことで、創造性を育てるのである。

レッジョ・エミリアの幼児教育活動を支えたローリス・マラクッツィ Loris Malaguzzi は、子どもたちがもつ創造の可能性を、こんな言葉にしている。

子供たちは / 100 の言葉 / 100 の手 / 100 の思い / 100 種類の考え / 遊び、そして語り / を持っている

そして大人たちは、子どもたちから 99 の言葉を奪っているんじゃないかとも。

繰り返しになるけれど、ぼくは 100 の言葉をもつのは子どもたちに限らないと信じている。

ぼくたちおっさんも、実は日々大小いろいろな冒険をしているし、大小いろいろな問題に出会っている (子どもたちと張り合ってる訳じゃないけど)。

その問題に対し、創造性いっぱいの答えを見つけることができるなら、その人生はきっと楽しいものになるんじゃないだろうか。

そしてそんなおっさんなら、子どもたちから 99 の言葉を奪ったりしないんじゃないだろうか。