on outline processing, writing, and human activities for nature
絵画による表現は、文字や音声による表現とどこがちがうのか。それは創造性とどう関係しているのか。
たとえばピカソ。彼の創造性の一部は、新しい表現法を見つけ、その方法を使いこなすことで見えてくるものを発見するという手順をとっているように見える。
キュビズムと呼ばれる描き方では、同時に見えるはずのない面が同時に見えるように描かれる。そうすることで何が見えてくるかを実験しているように見える。
その後、晩年のピカソは皿などの陶器をつくり、その表面に絵を描くことで彫刻でもない、それまでの絵画でもない新しい「絵」を描こうとしている。おそらく、これも実験。
実際に使えそうのない皿たちの表面に描きなぐられたように見える絵から何が見えてくるのか。
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ピカソの皿や他の陶器がたくさん展示されている彫刻の森美術館を訪れたとき、こういう声が聞こえてきた。
「こりゃ、遊んでるようなもんだね」
声の主の年配男性は、どちらかというとネガティブな意味を込めて「遊んでるようなもの」と言っているように聞こえた。
正直にお話すると、10年くらい前に初めてピカソの皿を見たときに、声にはしなかったけれど同じような印象をもったことをを覚えている。
でも、今はポジティブな意味で、ピカソはこの遊びに、自分の能力や時間、そしてお金を思う存分費やしたのではないかと考えるようになった。
その遊びを始め、続けることにどれだけの勇気が必要だったのか。そして彼は、自分の遊びを通してその先に何を見つけたのか。
そう言う問いが自分の中に育ち、ピカソのある美術館へ行く楽しみが、何倍にも増えたように感じている。