on outline processing, writing, and human activities for nature
一年ぶりに彫刻の森美術館に行きました。新しくなったというピカソ館も楽しみのひとつ。この改装の成果は賛否両論ありそうです。展示している作品をメジャーなものにしぼり、この美術館のコレクションの特徴をより分かりやすくオーガナイズした印象。
空間的にも時間的にも作品のひとつひとつをゆっくり楽しめる仕組みにしたのかなと感じました。個人的には、初期のスケッチが無くなったのが、少し残念。
*
そのピカソ館のウリのひとつは、彼が晩年にとりくんだ、皿に描いた絵だと思います。ピカソ館で初めてこの皿を見たのは、もう10年前になるでしょうか。最初は、その良さがあまり分かりませんでした。
でも、前回 (去年の夏) に来た頃から、ピカソが皿に絵を描き続けた理由が、少し分かった気になってます。平らな空間ではなく、皿という食器の機能を持った構造物に描くことで得られる制約と可能性。
*
絵を描く人たちが長いあいだ取り組んできた基本的なテーマのひとつが、平面の上に立体を如何に描くかだったと理解しています。光や影、輪郭線を引いたり引かなかったり..。立体を最小限の線や色で示すことができる人を、少なくとも日本にくらす多くの人は「絵がうまい人」と呼ぶのかなと、感じています。
平面上で立体を表現しようという試みがさらに進み、人が常識と感じている空間以外の空間を見つけ、それを表現しようという流れがあり、それがキュビズム cubism などの表現運動に繋がったのだと理解しています。ある女性の顔を右から見ているはずなのに、顔の右側だけでなく左側や頭頂部も見えたりする。
美術系の本や美術館の解説文をほぼ読んでいないので大きく勘違いしているかもしれませんが、彫刻の森に通いながら、ピカソが子どもの頃からおっさんになるまでに描いた絵や彫刻、スケッチを見て学んだことです。
*
そして、皿に絵を描くという試みは、平面上に「立体」を描くキュビズムなどの先にある表現活動と捉えると、ちょっとだけ分かった気になりました。皿という立体構造物の上で、別の空間を表現するワケです。
皿という食器の機能を実現するための立体構造がつくる制約。そしてその制約から見えてくる (平面に描くのでは見えなかった) 新しい可能性。
皿には構造があります。だから、正面から見たときと斜め右下から見たとき、あるいは斜め左から見たときで、見えるものが違います。同じように、真横から見たときも。
そうやって、皿に描かれたピカソの絵、いや、絵の描かれたピカソの皿を、いろんな角度から見たり、動きながら見たりすると「あ、そうなのか」と新しく気づかされるメッセージがあるような気がしています。