彼は BBC のカメラマンで、出会ったのはロシアのプリモーリエ地方にある小さな村、ベルフニェ・ペレバル。世界に100頭もいないとされるアムールヒョウを撮るために、もう1年以上、この村に滞在していた。
細身で小柄、大きな額に黒縁メガネをかけた顔は、サンダーバードのブレインズのような、あるいは007のQのような線の細さをイメージさせた。でもその話し方は、ああ、なんと言えばいいのだろう、ビキン川の流れのように滔々と、前に進み続ける語り口だった。
彼はロシア人だけど、英語で話しかけてきた。まっすぐ遠くを見るような眼で、こちらを見たり、川面の向こうを見たりしながら、プリモーリエの森でアムールヒョウを追いかける日々を語ってくれた。「そうそう、このあいだは、こんなことがあってね..」という感じで。
ぼくたちが鳥の調査の準備のためベルフニェ・ペレバルに滞在したのは、たしか3日間。ペトロフとゆっくり話をしたのは、作業がひと段落した初日と2日目の夕方だった。
ビキン川のほとりにある、数千人がくらすベルフニェ・ペレバルの夕暮れ。緑の多い村の中でも一番見らしのいい川辺の土手で、村人たちは散歩を楽しんでいる。もちろん、アスファルトで舗装した道はひとつもない。日本人なら道を外れて早足にすれちがうような広い場所でも、若者は年配の人たちに、男性は女性に道をゆずり、そうされたおじいさんや彼女たちは、笑顔でお礼する。
そのかたわらに積まれた薪の上では、ジョウビタキの雄が尾羽を小刻みにふるわせながら、カカカ…と、小さく鳴いている。つがい相手の雌や雛たちのいる巣が、すぐそばにあるはずだ。その小さな声に、ブッポウソウのにぎやかな声が重なる。きのう見つけた、村一番の大木で子そだてしているやつだろう。そして、遠くの森からは、カラアカハラの澄んださえずりも聞こえてくる。
そのたおやかな風景が、ペトロフの滔々とした語りをさらに滔々とさせ、何百キロとつづくプリモーリエの森を静かにあるく孤独なヒョウの姿がはっきり浮かんだ。
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それよりずっと前の学生時代、Yさんという霊長類の研究者と一緒に屋久島の原生林で調査したときのこと。彼は「外国語の会話を身につけるコツは怒りや」と、何度か話してくれた。
大学の英語のクラスで落ちこぼれだったぼくは、外国語を自分のものにするには、怒りのような強いモチベーションが必要ということだと思った。彼の主なフィールドだったアフリカのビルンガでは、武装した密猟者や欧米の保全活動家がぶつかりあい、命を落とした研究者もいる。そのYさんの「怒り」という言葉には、尋常じゃない説得力があった。
今ふりかえると、おそらくペトロフの語りとベルフニェ・ペレバルの風景が、ぼくにとってのモチベーションのひとつ。もちろん怒りではないが、憧れともちがう。ペトロフのような人たちと、もっと話しをしたい。そして彼のように、自分の物語を日本語以外の言葉でも話せるようになりたいという気持ちが、彼の話を聞きながら湧き上がってきたことを、今もよく覚えている。
外国の言葉を学び使いこなすようになるのは、誰にでもできることではないが、誰にでもできることでもある、と言える。
そして、外国の言葉を使うようになった人には、そうなると覚悟を決めた瞬間があったはず、というのがぼくの仮説。本人が意識して覚えているかどうかは別として。それが怒りなのか希望なのか、もっとちがうものなのかは別として。
(January 17, 2016)