gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


書きたい文章を完成させる時間

 

上の図は、五年間リライトをつづけてきた、ぼくのアウトラインの一部。フリーライティングとして書きはじめた文章が多い。

最初は Opal というアウトライナー、その後は OmniOutliner というアウトライナーで作業している。

(最近は Spacemacs Org-mode というフリーソフトウェアで作業することが増えているのだけれど、その話しはまた別の機会に.. )

仕事に直接関係する項目の多くとコッパズカシイ項目は削ってある。以前は、フリーライティングのガレージ (場) と捉えていたが、今は自分の書きたい文章を「完成形」にするガレージとしての役割が大きくなってきた。

もう四年になるだろうか。フリーライティングとは別に、とにかく一日20分、自分の書きたい文章を「完成形」にする時間をとるように心がけている。毎日20分と決めてしまうと窮屈なので、一週間で平均して一日あたり20分になればいいことにしている。

(フリーライティングの時間は、より自由に、必要と思うときだけとる)

数えてみたら、だいたい50の項目があった。リストの上の方にある項目ほど新しい。最近フリーライティングしたものや、「完成形」にする途中のもの、あるいは「完成形」になったもの。ブログのようないつでも見直せる場所に公開した文章の大部分は、「active」から「archive logs」に移動する。

その成果と言っていいかどうか分からないが、心もちの変化があったように感じている。自分のホームグラウンドができた感覚と言えばいいだろうか。

日々の出来事の中で、ぼくたちはがむしゃらに、あるいは手探りで歩きつづけることが多い。うまく行ったなと思うときもあるけど、失敗したなと感じることも少なくない。そのどちらか、あるいはどちらでもない場合にも、ふと立ち止まった自分に語りかける別の自分に会える場所。

この文章を「完成形」にする作業には、とにかく全体を書き上げる作業や、書いた文章をリライトする作業、そして投稿したり公開したりする場所に合わせ体裁を整えながら、文章を推敲する作業が含まれる。

(この具体的なやり方は、また別に紹介したいと思っている)

「完成形」にするとは、他人が読んでも理解できると自分で納得できる形にすること。分かりやすくするだけでなく、たとえば、冗長な部分を削ったり、読んで楽しくなるような仕掛けも入った文章に仕上げること。

実際に公開することも意識する。自分の研究と直結しない文章の場合は、こうしてブログとして公開したり、やはりもう少し大きな文章の一部として保管しておいたり。真面目に数えていないけど、メールなども含め色々な形で公開したのは全体の半分程度だろうか。

「完成形」になっても操作しつづけたい文章は、そのまま残す。たとえば一番上にある「my life synopsis」はだいたい数週間に一度くらいの頻度で、しごとに目処が経つごとに、開いてはリライトしつづけている。

「my life synopsis」は、具体的な形はちがうけれど、Tak.さんの「生活のアウトライン / ライフ・アウトライン」に似たものだと思う。この一部が、この項目から外に出て別の項目として文章になり、ブログの記事になることもあるし、研究プロジェクトのデザインに育つこともある。

「完成形」に仕上げることで、あとで読み返す楽しみが増える。ぼくの考えてきたことの歴史が、リストになっているように感じる。

たとえばフィールドワークがひと段落したときや、忙しさに追われ過ぎてるかなと思ったとき、あるいは、いつものカフェで珈琲を飲んでる最中に、このリストを眺めながら目についた項目を開くと、そのほとんどが、自分の中で生きているように感じる。

たとえそれが二年近く開かなかった項目であっても、リライトしたくなることも多い。そんなときは、フォーカスしてリライトし、ひとしきり作業が進めば、その項目をリストの一番上に移動させる。

50前後の項目は、もう少し増えることもあれば減ることもあるが、増えつづけることはない。その理由は大きく三つある。

ひとつは、上にも書いたように、実際に公開した文章は物理的にリライトしづらいので「Archive logs」に放り込んでいるから。

もうひとつは、ずっとリライトせずリストの下に沈んだままの項目を削除しているから。

そして最後の理由は、複数の項目がひとつにまとまることが多いから。

リライトをつづけると、ある項目が別の項目の一部として使えることに気づくことがある。そういう場合は躊躇せず、それらの項目をひとつにまとめる。

その結果、項目名が変わることもよくある。本文の冗長な部分や、論理からずれている部分もはっきりするので、遠慮なく削ってしまう。たとえば、ふたつの項目がひとつになると、文章の総量はひとつにする前の合計よりもぐっと少なくなることも多い。

上のアウトラインを見ると、その結果を反映して、新しく加わった項目ほどターゲットにする範囲が小さくて階層が低い。リライトを繰り返した項目ほど、範囲が大きくて階層も高い。

フリーライティングで見つけた自分の書きたい文章を、できる範囲でいいから「完成形」にするプロセスに時間をとる。そうすることで、日々の出来事の中から、自分にとって大事な問題を自然に選び、自分の考えが構造化できる。

このアウトラインが、ぼくにとって大切な存在であることは言うまでもない。でも実は、たとえば、ぼくの MacBook が壊れてアウトラインがなくなったとしても、あまりがっかりしないかな.. と今は言えるようになった。

バックアップをとってあるというのもあるけれど、アウトラインの50前後のリストが、おおよそ頭に収まっているように感じるからだ (たぶんだけど..)。暗記している訳ではない。でも、頭の中のある項目にフォーカスし、その項目を開くように書いたことを辿ることができる感覚がある。

これも、文章の「完成形」を目指すプロセスのおかげと考えている。