on outline processing, writing, and human activities for nature
日本の建物では、玄関入ってすぐの場所で靴やスニーカー、サンダルを脱ぐことが多い。
日本で育った人の多くは、廊下や縁側に上がったあと玄関側に振り返ってしゃがみ、脱いだ靴がこちらに向いているのを180度反対側に向け、揃えなおす。
あるいは、廊下や縁側に上がる直前に入り口側へ向きを変え、スニーカーやサンダルを脱ぎながら揃える人も多いだろうか。
この動作は誰のためにやるのだろう。
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まずは、近い将来の自分のため。
靴をぬいで上がった部屋で、ぼくたちは何かをする。いろいろ何かをする。そして別の何かをするために外へ出る。そのために、靴やスニーカー、そしてサンダルを履く。
そのとき、外に向いて揃えられたスニーカーやサンダルが待っていれば、体の向きを変えずにそのまま履ける。
そのために、脱ぐときに一度方向を変えて、しゃがんで靴やスニーカーの向きを変える。
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あるいは、あとからその玄関にやってきた家族や他の人のため。
玄関のドアや戸を開けると、そこには先にやってきた人の靴やスニーカーが待っている。それが、こちらを向いている。
と言うことは、上がってからしゃがんで靴の向きを揃えたり、外へ体を向き直してからサンダルを脱いだ人がいると言うことだ。
それは、あとからやってくる自分のような人の気持ちを考えてくれた可能性の兆しでもある。
だから、やってきた自分に向かって揃えられた靴やスニーカーを見かけたら、率直に少しほっとしておこう。
そうやって自分のことも自然に考えてくれる人が、その先にいる可能性も高いから。
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では、揃えられていない靴やスニーカーを玄関で見たときにがっかりするかといえば、実はそうでもない。
たとえば、走ってきた歩幅そのままの形に脱ぎ捨てられたスニーカー。
その奥に、笑い転げている家族や仲間がいることが多く、それはそれで悪いものでもない。
つまり玄関の風景は、そこを訪れた人たちが最初に何をしたのかという行動のしるしである。
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ぼくは、この玄関の風景が結構お気に入り。その理由のひとつは、この行動をしるしを程よく大切にしている人が多いように見えるからだ。