on outline processing, writing, and human activities for nature
高校の頃、登山にあこがれた。
登山道を粛々と歩き、山の知識を総動員してテントを貼る場所を決め、古びたでこぼこの Phoebus バーナーをヒーティングして火をつけ、背負ってきた食材から厳選したものをこれまたでこぼこのコッヘルで料理する。
別の夜には、山小屋にあつまった見知らぬ山仲間たちと、薪ストーブを囲んで、経験してきた山での物がたりを語りあう..。
そういう姿にあこがれた。
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そして、かなりの無茶をして、とりあえず山に登った。
たとえば、大きな低気圧が近づいている日に山道を何時間も走るバスを乗り継ぎ、生まれてはじめて高山帯のある山へのぼり、すぐとなりで雷の鳴り響くなか、森林限界を超えササ原の広がる斜面をのぼったりした。風のとおり道に穴のあいたテントを張ってしまい、何度もテントを張り直すため、雷の光が真横に走るのを横目にシャワーのような雨の中、ペグを打ち直した。雨水を逃す溝も周りに掘ったりしなかったから、テントの床は水浸しになった。
大雪の降った日におおよろこびで高校を自主休校し、ダウンのあまり入っていない「ダウンジャケット」を着て、雪の中を自転車で三時間くらい走ったところにある登山口から山頂を目指したこともあった。「ダウンジャケット」以外は、テニス用のジャージにテニスシューズという、とても雪山には向かない服装で、雪に濡れたせいで手足がちぎれるような寒さの中、深雪をラッセルしたりした。
どちらも、山や自然にはほぼ興味のない友人を無理やりさそって、たしかふたりか三人で、高校生にありがちの無闇に大騒ぎしながらの山歩きで、憧れている姿とはほどとおいものだった。何とか無事に帰ることができたのは、単に運がよかっただけというのもよく分かっていた。
それでも、ほとんど眠れなかった嵐の過ぎた翌朝、のぼってきた朝の太陽に照らされて、足元に広がる雲海が金色に光っていた風景を今もよく覚えている。
雪に覆われた森のつきささるような静けさの中、遠くあるいは近くから、たまに聞こえてくる樹冠から落ちる雪塊の音をはっきり思い出すこともできる。
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今ふりかえると、あの無茶苦茶さは、10代後半という若さならではの社会やこの世界すべて、そして自分へのよく分からない怒りが出発点だったようにも感じる。
そして無茶苦茶な行動の先で、あの美しい風景に出会えたことは、その後のぼくにとって小さな幸運だったのかもしれない。
そう。いろいろあるだろうけれど、この世界は捨てがたいほど美しいものなのだ。