on outline processing, writing, and human activities for nature
おっさんになった今、たとえば1年や5年で自分ができる範囲を、何となく見とおせるようになり (外れてばかりではあるけれど)、「こりゃ、ぼくの一生のあいだにできないこと間違いなし..」という成果を見せつけられる出来事も、それなりに起こるようになった。
これを些細なものとして片付けようとすると、自分に嘘をつくことになる。それは、自分のことを信じられるという心持ちを、見失うきっかけになるような出来事かもしれない。
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こういうときの方策として、自分の見るスケールを変える作業を意識的にやってみることがある。見るスケールとは、ぼくが見渡す範囲と解像度のこと。ものさしと呼んでもいい。
まず最初に、成果を見せつけられた今のぼくが見ているスケールを意識する。
多くの場合、成果を上げた本人のスケールや、それを噂する人たちが (たぶん無意識に設定した) スケールに乗っかっている。
たとえば、あなたが数学を大好きだけど、そんなには得意じゃない、数学以外で仕事をしているおっさん (注: 女性も男性も含みます) だとしよう。そして、ある別のおっさん (ここでは仮に、素敵おっさんAとしよう) の本を読んだばかり。
その本は、難しいとされる数学の一分野を、とても分かりやすい物語り仕立ての解説文にまとめたもの。10年以上再版と改訂を続けるロングセラーになり、たくさんの高校生や大学生、そして大学を卒業した数学好きの社会人たちに、数学の美しさを伝えてきた名著。
あなたはこう感じるかも知れない。
あぁ、自分はこの本に出てくる証明ひとつを理解するのに一週間かかった。そんな自分に、とてもこんな本は書けないだろう。
(だから、こんな素敵な数学本を出版するような生活は、永遠にやってこない..)
厳しい言葉かも知れないけど、これはたぶん、事実に近い。その哀しい気持ちや敗北感にも尤もらしい理由がある。
だから、漠然とした焦りや無力感、そして脱力感をしっかり味わうことも大切なことである。
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さて。
このがっくり感 (?) を十分に楽しんだら、好きなエスプレッソでもぐいとやり、深呼吸しながらあなたの見ているスケールを、まずは意識的に大きくしてみよう。
たとえばそう、あなたの大好きな数学者 (偉大おっさんZと呼ぼう) の書いた本とそれを読んだときのあなたの感動を思い出してみよう。実際にその本を読み返すのもいい。
そこには、あなたを魅せて止まない柔軟な閃きがあり、今読み直してもドキドキする胸のすくような論理展開が描かれている。
その偉大おっさんZが、わずかな期間で仕上げたと言う数学上の名著によって、数学や物理学、あるいは生物学にまで与えた影響を具体的にイメージするのもいい。
偉大おっさんZのすごいことリストをアウトライナーやインデックスカードに書き出したり、そのリストを読み直しながら並び替えたり、リライトするのも楽しいだろう。
そうすることで、偉大おっさんZのスケールに乗っかってしまうのだ。このZスケールから眺めると、ちょっと前にとても大きく見えた素敵おっさんAの解説書は、素晴らしくはあるのだけれど、何となく身近な作品に感じるかも知れない。
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次に、偉大おっさんZのスケールに乗っかった勢いで、さっきの素敵おっさんAのスケールを意識的に外してみる。そして、自分スケールにフォーカスする。
そのきっかけとしてたとえば、あなたが1週間前か1か月前、あるいは1年前に書いたフリーライティングのリストを開いて、読みなおすのもいい。あるいは、あなたのブログのページを開いて、お気に入りの記事を久しぶりに眺めるのでも。
そこには、その文章を書いたときのあなたのスケールがある。あなたのスケールで大切な一歩と感じた前進がある。
それから、わかりやすい数学の解説書を書いた素敵おっさんAのスケールと科学の世界に大きな進歩をもたらした偉大おっさんZのスケール、そして、たとえば1か月前のあなたのスケールの相対的な関係を、何となくでいいから頭の中にイメージする。
それは、単純な大小関係だけではないはずだ。スケールの向かう方向が違うかも知れないし、置き方と眺め方によって、あなたスケールの一歩が偉大おっさんZの一歩に近いサイズであることに気づくかも知れない。
ぼくたちが日々の生活で、達成感を測るためのスケールは実のところたくさんあり、それらのスケールを同時に測ることのできる絶対スケールなどはない、と言うのがぼくのテキトー仮説。
だからこそ、自分が日々出会う人たちのスケールの関係を、自分なりに意識しておくことが、自分を信じられる (自分スケールの価値を理解して、その上を一歩ずつ歩いていく) 心持ちを育てるのに便利なのではないだろうか。
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成果を見せつけられたときのスケールと別のスケールを意識しながら、1週間前、1年前のあなたのスケールにもフォーカスできれば、自分を信じようとする自分を、元気づけてくれるはず。自分スケールの一歩も大切な一歩だと、自然に感じられればしめたもの。
そして、ついでに次の一歩も踏み出してしまうと、もっといい。計算のつづきを10分ほどやってもいいし、偉大おっさんZの本を読んだ感動を、自分の文章として20分ばかり書くのもすばらしい。
次の一歩まで体験することで、自分スケールの価値をより説得力のある形で俯瞰できるかもしれない。
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最初に見せつけられた素敵おっさんAのスケールに、ずっと憧れている偉大おっさんZのスケール。そして自分スケール。このスケールを行ったり来たりすることで、自分スケールの価値をあなた自身に教えてあげるのである。
人はよく、気分転換が必要と言う。たとえば、会心の論文原稿が見事にリジェクトされたとき、それとあまり関係ないレイ・ブラッドベリを読んでみたり、最近買ったエリック・ポストの専門書を読み直してみたり。こうした作業も、実はいろんなおっさんスケールを渡り歩く効果を持っているのではないだろうか。
これは勘違いかも知れないけど、このいろいろなスケールを渡り歩く作業はアウトライン・プロセッシングのシェイクに似ているような気がする。実際にぼくはこうした作業のほとんどを、アウトライナーでやることが多い。
そしてぼくは、この作業の背景になるモデルのようなものを、自分スケールの相対性理論とコッソリ呼んでいる (笑)。