宮沢賢治の詩は好きだったけど、それ以外のことは知らなかった。東北の岩手あたりで暮らしていたことや、農家の人たちの味方 (?) だったことくらいは知っていたけれど、彼が書いた詩を味わうだけで、ぼくには充分すぎると思っていた。
この春、いくつかの理由から、岩手の花巻で調査を始めた。東北での本格的な野外調査は初めてで、遠くに見える奥羽山脈のかっこよさと、農家の人たちの人懐っこさに魅せられて、すぐにお気に入りの場所になった。
そしてそこは、多くの人にとって一般常識かもしれないけれど、賢治の生まれた場所だった。
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
と、彼がうたった森がこれなのかなと思ったりしながら、道の脇に車をとめると、丘になった田んぼの向こうから、のっそりのっそり畔道の上をカモシカが歩いてきたりした。
(これは、ぼくの道でもあるのです、という声が聞こえた)
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標識や看板や、いろんな場所に賢治、賢治と出ていたし、まるで英国南部のヒース草原のような風景の、田んぼのなかを走る単線鉄道の小さな駅には、銀河鉄道の駅らしい名前が、ついていたりした。
2回目の調査を、カミさんに手伝ってもらったとき、地元のそういう風景をみながら、宮沢賢治こそほんとうの意味で、地元にねづいたコミュニティづくりの成功者ではないかと、たしかそんな意味のことを、彼女が助手席でぽつりと話した。
賢治は今も、花巻や岩手の人たちに、少なからぬ収入をもたらしている。
賢治は今も、花巻や岩手の人たちの、故郷への誇りの象徴である。
賢治は今も、花巻や地元の人たちの、心の支えでもある。
彼女のこんな風な言葉を聞いたときから、ぼくの中で、賢治についての、新しい問いが生まれ始めた。
この秋、いくつかの理由から、渡り鳥をテーマにしたシンポジウムのお手伝いをした。そこで、賢治を研究テーマにした人の『銀河鉄道の夜』の話しを聞いた。
その話しには、たくさんの魅力的なアイディアが込められていた。中でも印象的だったのは、賢治は自分の部屋の天井に、星座の地図を貼っていつも眺めているくらいに、星座にこだわりがあった。だから、銀河鉄道にでてくるしるしを拾えば、その線路を星座の地図に描くことができる。そこから、賢治のもうひとつのメッセージも読みとれるかもしれない、というもの。
そこからの展開のおもしろいこと、おもしろいこと。
賢治の詩に魅力を感じるのは、描かれた瞬間の迫力からだと、今も思っている。でも、その背景にナチュラリストとしてのこだわり、つまり、自然に対する謙虚さと憧れがあったとしたら、なんと言うか、これほど嬉しいことはない。
もし、賢治が童話をとおしてつくりだした世界が、彼のナチュラリスト的視点をとおして描かれた彼の世界観だとしたら、ちょっと覗いてみたい。賢治の生み出した世界観が、文学と自然科学のさかいを越えて、それぞれの分野にどんな影響を与えたのか、それも知りたい。
その講演をした人は、九州の大分にある大学の教員。でも、うまく言えないんだけど、同じ職業の人がもつことの多い「大学」や「研究」が特別のものという、肩肘張った部分というか、思い切って言うと、威張っちゃってる部分がちっともない人に感じた。
(ぼくがえらそうには、言えないんだけど..)
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シンポジウムが終わった休み時間、幸運なことに、その人と一緒に珈琲を飲みながら、ゆっくり話すことができた。講演を聞いたあとの興奮もあって「ナチュラリストのつもりの自分が賢治なら、やっぱり99のリアリティの中に、ひとつの大切な嘘を入れる..」みたいなことをえらそうに話したら、彼が賢治の弟さんから直接聞いた賢治のこだわりのエピソードをいくつか、楽しそうにお話ししてくださった。
それから珈琲カップ片手に、花巻でカミさんが話したこと伝えると、彼が心の中で膝をうつのが見えた。途中から同じくシンポジウムの手伝いに来ていた彼女自身も加わり、話しは盛り上がった。彼が講演で話したことは、もう20年くらい前の仕事がベースであること。そして、その仕事をまとめたあと地元の大分で、自分もコミュニティを育てる活動に力を入れている、という話を聞いて、彼女と2人してすっかり嬉しくなってしまった。
(彼は、自分の仕事をとおして見た賢治の考えを、彼の生活で実践している..)
科学を詩にした人が、日本にもいたこと。それが宮沢賢治というビッグネームだったこと。それに今更ながら気づいたのは、ここだけの話し。
(でも、なんで賢治はこれほどメジャーになったのか。だれかが一生懸命宣伝したこともあるだろうけど、中身に何かがなければ、こんなに広く、こんなに長いあいだ、人から人へと伝わり続けないのではないか..)
学会前、しかも別のシンポジウムの手伝いも終わったばかり。加えて、論文書きも佳境にさしかかった大忙し祭りの最中だったけど、このシンポジウムを手伝ったおかげで、賢治の研究に携わったあとに賢治の生活を自分のものにしようと挑戦している人に出会えた。
これはすごく大きなことだったと、来年の秋にも振り返ることができれば、素晴らしい。今と同じように、コオロギの声を聞きながら。