on outline processing, writing, and human activities for nature
最近、朝の20分から一時間は、いちばん書きたいことを書く時間にすることを意識している。今の自分にとって、その時間がとくに大切と感じているからだ。
具体的には、フリーライティングしたり、きのうまでのフリーライティングを眺め直しながら、おもむろにリライトしはじめたり。
(たぶん今のぼく限定と思うのだけれど)たとえば、必ずそれを研究デザインに活かすとか、ブログ記事にするとか言ったアウトプットに固定しない方がいいという感覚がある。
いちばん書きたいことを書く時間にしたいからだ。
別の言葉にすると、手で考える時間にしたい。手で考えることを、できるだけ意識する時間にしたい。
アウトプットすると決めてしまうと、どうしてもアウトプットそのもののための作業にしばられる感覚がある。
それは、手で考えるのとは異質なプロセスに感じる。
もちろん、手で考えはじめたことをアウトプットすることで得られる利益の大きさは、たくさん経験してきた。
公開する文章としてアイディアを固定することで、自分の考えが先に進んだり、あとでそのアイディアを参照し直す可能性が高くなる効果は大きい。
でも(繰り返しになるけど)アウトプットするためには、手で考える作業とは別のプロセスが必要になる。
では、手で考えるとはどういうプロセスを指すのか。
それはたとえば、すでに頭にあることを按配しながら、新しい(とそのときの自分に感じる)アイディアをつくり上げること。
あるいはさらに、すでに頭にあることを按配しながら、新しい(とそのときの自分に感じる)アイディアに繋がる情報の断片を発見することじゃないかと、今のところ考えている。
そしてその手応えを実感したら、それを生活のアウトラインに放り込んだり、自分の研究デザインのためのアウトラインのいちばん上に置いたりするのもいい。
今日のタスク管理に役立つときもあるし、短い文章として公開する場合もある。