ふと思いたって一番古いアウトライナーの項目をみたら、2010年10月の日付けだった。だから、アウトライナーを本格的に使い始めて、少なくとも4年半たったことになる (まだ4年なんだ..)。
その頃から、ひとつのアウトラインにすべてまとめて書こうと思ったのは覚えている。文章をつくる、本や論文を読みながらノートをとる、調査や解析のデータや経過を記録する、GTD、ちょっとした考えを整理する、そしてフリーライティングをする道具として使いつづけている。
アウトライナーを使い始めた頃は、この何でも放り込むデータベースを大きくすることに意味を感じていた。項目数を増やしつづけることを意識していた。そうすれば、そこに蓄積された情報が、自然とダイナミックに離合集散し、それまでの体系とは階層のちがう新しいアイディアの体系が生まれてくると考えていた。
でも今は、それと逆のことを考えている。めざしているのは、かなうことなら、画面の中に収まるような小さなアウトライン。階層もできるだけ浅い、アウトライン。
大きなデータベースをつくり、強力で高速な検索力を駆使して、蓄えた情報を生かすという使い方こそ、現代技術のアドバンテージを最大限に生かす方法であるという視点は、まちがっていない。その方法として、自分のビッグデータベースをつくることも正しい。
でも、自分が生きていく上で必要なことが一目で見える小さなリストになっているとしたら、これほど素晴らしいことはないと思うのは、ぼくだけだろうか。
一握りの小さなアウトライン。一目ですべてを見ることができる、小さなアウトライン。
それを育てるためには、センテンスやパラグラフ、それらの集まりをひとつの「システム」として機能させるような、ひとつの項目に要約することが鍵になる。その要約された項目が、その瞬間から、それまでのセンテンスと同じ役割を担う可能性をもたせることも大切である。そして、ある期間、開かれなかったり書き換えられなかったりした項目を捨てることも..。
もし、ひとつのシステムとして要約できないなら、それは、自分にとって2つに分けた方がよい情報なのだ。それを真摯に受け止め、項目を増やそう。新しい情報が加わることで、これまでひとつだった項目が、3つ以上の項目に分かれることもあるだろう。それも認めなければいけない。
でも、あくまでも、目指すのは一目で見渡せるようなアウトライン。とんでもない量に思える新しい情報が、自分にとってもっと少ない機能に要約できないか、結局は一言ですべてを言いあらわすことができないか、いつも自分に問いかけつづけよう。
そうしながら、1列ではなく、階層構造をもった、樹状のデータベースの「押し出しファイリング」的な管理をつづける。新しい情報はリストの一番上に (要約は、意識しないでも自然に上位階層になる)。そして、長いあいだ、書き換えられたり開かれなくなったりした項目をみなおして、いらないと判断すれば捨てる。その繰り返し。
そうする中でアウトラインの上部に残ったシンプルな構造の項目は、過去の多くの離合集散、ダイナミックな変化を経験した、言わば階層を重ねた項目になる。時間の経過は、書いたものを俯瞰しやすくしてくれる。だから、長い時間をかけてリストの上部に残りつづけ、真の意味で階層を重ねてきた項目は、数多の自然選択を経て進化した生物のように、セレクションを乗り越えたアウトラインになる。
この情報の機能を失わなせない要約と取捨選択の時間をかけた繰り返しが、アウトライン・プロセッシングの鍵かなと思っている。まだ試行錯誤の途中だけれど。