8月の真ん中。ツクツクホウシの声がシャワーみたいに聞こえ、道には落ちたアブラゼミやクワガタムシが目立ちはじめる時期。
夜に鳴くコオロギの声も少しずつ大きくなっているし、ツバメの雛たちが親鳥に餌をねだって賑やかに鳴いていたのは、もう半月以上前。彼女や彼らも、今は大きな湿原に集まって、南への旅の準備を進めているだろう。
夏真っ盛りだけど、空気の中に秋がまぎれこみはじめる季節。太陽の日差しは相変わらず頑張っているけれど、時間はとまらない。
そういう時には、自分が1mmくらい (ロシアの友人はたまに、非常に微量あるいはめっちゃ少しだけの気持ちを強調するためにこう言う) 元気になった瞬間を、思い出すのもいい。
たとえば、モンゴルのロシア国境近くを流れるオノン川のそば。夏の昼下がり。
草原の中を飛ばすトヨタのハイラックス (一部ガムテープで仮補修中) 。調査も終盤にさしかかり、みんな少し疲れ気味。しかも、おいしい昼ごはん食べたあとは、ねむっちゃいけないと思いながら、意識がどこかに行ってしまいがちな時間帯。
ふと前をみるととおくの湿原に、調査対象であるアネハヅルのような影が動く。半分寝ぼけながら慌てて振り向き、うしろのシートにおいた望遠鏡をとろうと手をのばし、うとうとしてるモンゴル人の Chuuka に「おさむくん、そこにある望遠鏡とって」と (もちろん日本語で) 声をかけたら、おさむくんのはずの彼がとても不思議そうな顔をした瞬間。
(モンゴル人と日本人は遺伝的に近いかも知れないけど、モンゴル語と日本語はコミュニケーションツールとして入れ替え可能なほどには、似ていない。でも、Chuuka がいとこのおさむくんにそっくりという確信は、今でも揺らがない)
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ロシア極東にあるビキン川流域の大きな湿原、6月の午後。
どうしてもやりたくて、ひとりでラーゲリ (キャンプサイト) を離れ、とにかく湿原の中を一直線に歩いた。まずは東だよねと適当に決めて、まっすぐまっすぐ、何時間か歩いた。やがて行く先の地平線に小さな丘が見えはじめる。
じゃあその丘を目標にしようと歩きつづけるうちに、それが遥か後方に置いてきたはずの、ラーゲリそばにある毎日眺めていた丘とわかった瞬間。
(知らないあいだに地球一周して、鏡の世界に入った気がした。実は、大きな三日月型の沼に騙されて?リングワンダリングしていただけ。←こういうときは、コンパスをもっとマメに見ましょうね。まっすぐって決めたんだから..)
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東京の職場のそばにあるインド料理屋。たぶん秋で、3時かその少し前。
久しぶりだし、昼ごはんにしては遅くなったし、さあ食べるぞと元気よく店のドアをあけたら、インド人のマスターが、いつもは紳士的に微笑みながら料理をつくってる彼が、かぶりつきで相撲中継を観戦中。そして、細身の力士があっという間に負けてしまい、意気消沈するマスター。
(お前がそんな風にドアを開けたから負けたんだ!という心の声が聞こえたし、こんな時間から相撲やってるなんて忘れてたし、あんな熱く3時の相撲を応援している人を見たことなかったし..)
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で、青い空を見上げたとき。これはどの季節でも、どの国にいても。
無意味なようであり、余白のようであり、永遠のようでもある瞬間。