gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


謙虚な自信と信頼のバランス [1]

 

野外調査のため花巻へ通うようになって、そろそろ6年になるでしょうか。友人と呼んでいい家族もできました。

そんな友人家族のひとつは、花巻にやってきてたぶん15年以上になるパン屋さん。最寄りの駅から歩いて一時間くらい離れた、棚田の広がる丘の上にあります。白い壁に煉瓦色の屋根がポツンと立った姿は、そこがパン屋と分かる前から気になっていました。

目立つサインもなく、庭と道の境界にある木の枝に、小さな木製の看板がぶら下がっているばかり。その看板も、そのパン屋の名前がフランスの文字で彫ってあるだけで、ベーカリーとかパン屋といった文字はありません。

調査中、前の道を何度も車でとおり過ぎていたのですが、そこがカフェのついたパン屋と分かるまでに数年かかりました。

印象的な建物に惹かれ、入っていいかどうか分からない庭のような駐車場に勇気を出して車を乗り入れたときをよく覚えています。車をとめて玄関へ向かうと、Open と書かれた小さな看板。だから何かの店である可能性は高いから、とりあえず大丈夫。でも何の店だろう..。

ポーチに入ると、これまた味わいのある木製の重いドアの左隣にたぶんわざとやや煩雑に置かれた、古ぼけたように見える木製の表札のような板があります。それにも木陰の看板と同じ文字が彫ってあるだけ。この段階でも、この建物の正体?は不明のまま。

ちょっとドキドキしながら、そのドアを開けると、焼き立てのパンの香りがあたり一面に広がっていました。ガラス張りの木製棚にはパンが並び、ブタとシトローエン2CVというフランス車の絵や置物が、棚やカウンター、そして壁にところ狭しと飾ってあります。

メニューかなと思う小さな黒板にチョークで書かれた文字を見てもフランス語が苦手なぼくには、ピンときませんでした。で、パンの棚の向こうにつづくカウンターからあいさつしてくれた女性に「ここはお店ですか?」と話しかけると、よくぞ訊いてくれましたという表情の明るい声で「パン屋です。食べていくこともできますよ」。

これが、このお店の顔?でもある、奥さんの Y さんとの最初の会話でした。たまに関西のアクセントの入る軽快でクリアな言葉を話す Y さんと、お客さんとの会話は、聞いているだけでも少し楽しくなります。

ここで食べられると聞いて、よろこんで見た目のちょっと変わったパンと珈琲を注文したら、まぁそのおいしいこと。パンの名前はたしか電信柱。パンの見方が変わるような味。見かけも少し変わった細長いバケットに、これまた初めて食べるような香りと絶妙な甘さ加減のクリーム。

そして、注文した電信柱以外に、大きめのパンが何種類か、その電信柱の何倍かのボリュームで付いてきたのもうれしかった。パンそれぞれが、これまた別々の驚きと言っていいおいしさ..。

すっかりそのパン屋のファンになってしまいました。

この店のパンを焼く旦那さんの G さんは、使い込んだシェフジャケットやつなぎのよく似合う、人にいろいろあげたり喜んでもらうことが好きなおっさんと、ぼくは感じています。初めて会ったのは、何度か店のパンを食べに通ったあとでした。たがいに好きな旧い車の話しで、大いに盛り上がりました。

さて。それから数年が経ち、お店以外でのつきあいも増えたこのパン屋ですが、疑問に思っていることがありました。

「なぜ花巻の、しかも駅からも町からも離れた田んぼの広がる丘の上にパン屋をつくったのか」

そして今回、運よくその答えを聞くことができました。

「おいしいパンを焼く店と分かれば、ちょっとくらい遠くても買いに来てもらえる自信があったから..」

これは、他には無いおいしいパンをつくりつづけられるという自信に加え、その味を見分ける人々がこの地域にたくさんくらしていること、そんなパンのある生活のために遠出してでも店に来てくれるという信頼に裏づけられた言葉ではないでしょうか。

謙虚な自信と信頼のバランスです。

このパン屋の焼きたてイギリスパンやバケットを、毎朝パンナイフで切って食べることがどれくらい嬉しいことかは、今回の滞在で身をもって知りました。焼きたてがおいしいだけでなく、翌日、その翌日と時間がたったあとの味までの考えて焼かれたパンであることは請け合います。

そして、お店にやってくる人たちの顔ぶれと、パンを受け取るときのあの表情。近所の農家の女性たちだけでなく、「日本人ならコメ食いねぇ」って言いそうな年配男性がほんと楽しそうに買いに来ていたり、店から数10キロ、あるいは100キロ以上離れた遠くから週一回、月一回のルーチンとして訪れている人たち..。このパン屋さんの自信と信頼のバランス感覚は間違ってなかったと感じています。

週5日、9時に開店して10時には売り切れることの多いこのパン屋。パンの増産も通販や店舗拡大も考えてもいないそうです。

花巻にはそれ以外にも、なんでこんなところにあるんだろうという店や、営業日数が少なくて開いている時間も短い、こだわりいっぱいの店も何軒かあります。

こうした店を営む人たちの商売観というか、生活の支え方というか、生き方みたいなものにも惹かれ、興味をもちはじめています。

 

  1. うれしいことに、倉下忠憲さんが、ぼくが言いきれてなかったことを分かりやすい記事にしてくださいました。「田舎のパン屋さんのようなスタイルで」。いい記事です。