on outline processing, writing, and human activities for nature
映画『Can You Ever Forgive Me?』を、みながら気づいたことの覚書。
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実話を出発点にした作品。書けなくなってしまった作家 Lee Israel が、ある犯罪に手を染めるようになり、いくつかの出来事を経てこの映画の原作になる作品を書きはじめるまでの物がたり。
何度か観たくなるような、小さな名作と思っている。
Lee はニューヨークのアパートメントにくらしており、Jack Hock に出会う。彼といればなんだか楽しいし、何よりもいい奴である。
そして、彼女は12歳になるネコも飼っている。
でも、書けない。
書こうとする彼女は、タイプライターに向かう。でもキーを叩くことができない。
訪れた図書館かどこかに Macintosh SE らしきものが置かれていたから、時代は今から30年くらい前だろうか。
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作品の中で、心に残る言葉があった。
「私が、私の作品で本気で勝負するなら、その作品への批判を一身で引き受ける勇気が必要だった。でも私は腰抜け coward だった..」といった意味の台詞。
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たとえば、ぼくが何かをつくろうとしていたとする。もしかすると今その作品をつくることに、本気で勝負する必要などないかもしれない。でも、勝負から逃げようと意識することで、ぼくたちの生活は、結果的に勝負に左右される場面が増える。
少なくとも、勝負する可能性を小さくする選択肢しか選べない。だからこの物がたりの主人公 Lee は、自分の作品を書くためにタイプライターのキーを叩くことができなかった。そうではない作品のためには、あれだけ生き生きとタイプできたのに..。
ということはつまり、勝負から逃げないとさえ決心すれば、勝負からも自由になれるかも知れない。
勝負すると腹を決めた Lee のあの落ち着いた顔が、とても印象的だった。
Lee を演じた Melissa McCarthy が、昨年のアカデミー賞候補にノミネートされた理由のひとつは、こうした演技があったからかなと思ったりした。
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2018年の作品で、監督 Marielle Heller。脚本は Nicole Holofcener と Jeff Whitty。スタジオは Fox Searchlight Pictures。
残念ながら、日本の劇場では公開されなかったらしい。