gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


展覧会はアウトラインである

彼女はよく、森のようちえんの手伝いに出かける。ここ何年かは運営にも関わっている。

そのようちえんは、彼女が森のレンジャーをしていた時代から、その森に通っていたようちえん。

建物がなく、森そのものが園舎。

2歳から6歳までの子どもたちが、毎日のように自分たちの遊ぶところを決め、そこへ向かって歩き、横道へそれ、そこで一日が終わったり、結果的にちがう場所へ行ったりすることも。

20年以上つづいてきたようちえんだから、どこで遊ぶかという文化は、子どもたちから子どもたちへと伝わり、行く先はだいたい決まっているらしいけれど。

たとえば、森の坂道を登る丸太と泥の階段は大人サイズ。2歳や3歳の子どもにとっては、胸の高さくらいに見える段差もある。そういう場所では、年長の子どもたちが年少の子どもたちを手を引いたりしてサポートしようとする。

でも、なぜか2−3歳の年少の子どもたちは、手を引かれるのを嫌がることも多いとか。自分で登ることに一生懸命の年少の子どもたちに、親切のつもりだったのに、差し出した手を振りほどかれ傷つく年長の子どもたち。

これもまた何と言えばいいか、いいお話しだとぼくは思う。

さて。

その森のようちえんは、2月か3月に展覧会のようなものを開く。2歳から6歳までの子どもたちが描いたたくさんの絵や他の作品を、みんなに見てもらうイベント。

その展覧会で披露されるのは「文字を書きはじめる前の人たちのことば」。

クレヨンや絵の具で描くだけではなく、ビニールテープを使ったり、紐が絵からぶら下がっていたり、あるいは、紙の一部を切り抜いたり。

つくり方からも自由な気持ちでつくったことが伝わってくるけれど、そこに飾られた絵には、そんなことしてなくてもぼくたちの心に届くオリジナルのメッセージがある。

いい意味での刺激や (あぁ、ぼくもこういうものを描きたい)、

小さい感動というか満足感がある (あぁ、いいものに直接触れることができた)。

たとえばそれは、モネの夕焼け色に染まった空気の中にあるベネチアを見たときの驚きや、ゴッホのうねるように飛び立つカラスたちと麦畑を見たときの心揺すぶられる気持ちに似ている。

だから、森のようちえんの子どもたちがどうやってこうした作品を描くことができるのか、その仕組みづくりにも興味がある。

いわゆる「上手な絵」にしばられない自分のことばとしての絵を、子どもたちがつくりやすくする仕掛けがあるのではないか。

ここでは、彼女から聞いたり森のようちえんのリーダーから聞いたりした話しの中で、とくに印象的だった4つのことばを紹介しておきたい。

a. 思い出して描く

ぼくが絵を練習しはじめたとき、描きたいものを見ながら描くことが基本だと考えていた。

目の前にあるものをそのまま描こうと意識することは、いわゆる「上手な絵」の呪縛を抜け出すための大切な道具になる。

でもまずは、その枠も取り外す。

たとえば、自分が出会った色々な場面や生き物を思い出し、その中で絵にしたいと思うものを選び、それを思い出しながら描く。

自分の頭の中にあるものを絵にすることで、絵にしたいことを探すとき、森の中を自由に移動できるし、いろいろな季節や時間にもジャンプできる。

描く素材を、今自分がいる場所や見えるものに囚われずに済む。

そして、絵にする素材を決める作業をとおして、子どもたちは今まで遊んだ森のさまざまな経験を自分の中でリストにし、並べかえる作業もしているのだろう。

b. 真似していい

自分のとなりで絵を描いている子が、水に映った木を描いたとする。

たとえば、紙の真ん中に青い線を引いて、上に一本の木とそのそばを飛んでいるチョウを描き、青の線の下には、逆立ちした同じ形の木とチョウを描いたとする。

水に映ったその景色が彼の心の中に残っていたこともいいなと思うし、それを絵に描きたいと選んだプロセスにも、拍手したくなる。

それは、たぶんオトナだけでなく、子どもたちの心にも響く。

そして、そのとなりで雪の日につくった雪だるまをたくさん描いていた子が、やはり、雪だるまの下に青い線を引き、その下に逆立ちした雪だるまを描き始める。

このプロセスを、イケナイこととは考えず、むしろ大歓迎する。

ある子がつくりだしたことばが、となりで絵を描く子たちに伝わったのはすばらしい出来事であり、新しいことばをつくった子だけでなく、それを自分のことばに取り入れた子も歓迎される。

c. でき上がったと思った時点で小さく発表する

絵を描くペースはみんなそれぞれなので、一斉に出来上がることはない。

だから早くできあがった子がいれば、その場でみんなにその絵を見せながら、でき上がった作品を紹介する。

そうすることで、今、自分が完成させたことばの意味をおさらいしながら、描いている途中の子どもたちにそのことばを届けることができる。他の子どもたちの中には、そのことばに共感し、今つくっている絵の中にその影響が出ることが多い。

そのプロセスをとおして、絵を描いている子どもたちがつくり出すことばは、ダイナミックに変化していく。

d. 一番と思う自分の作品を選んでもらう

展覧会では、たぶん、ひとり3−4枚ずつの作品が展示されている。

その中に、子どもたちが自分の作品の中でいちばんと選んだ絵のコーナーがある。

みんな、それなりに何枚も描いたところで、ひとりずつ、その中でいちばんの絵を選んでもらうそうだ。

なぜ、この絵を選んだのだろう。ぼくから見るとこちらの絵の方がいいなと思うのになぜだろう。

そう考えながら絵をみることで、新しい発見がある。

子どもたちが何枚も描いた中でどの絵を選んだのか。それ自体がメッセージになる。

思い出しながら素材を選ぶことで、できるだけ自由にことばとして表現するテーマを選び、真似したりしながら新しいことばをつくる。

発表しながら、他の人にもことばを届けることで、みんなのことばを育てるきっかけにもする。

そして、自分のことばの中からとっておきのものを選ぶことで、さらにそのことばを育てる。

森のようちえんの展覧会には、森で遊びながら感じたことや考えたことが、こうしたプロセスをとおして絵ということばになり、並べられている。

それは子どもたちひとりひとりのアウトラインでありながら、森のようちえん全体のアウトラインでもあるのだ。