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ecology of biodiversity conservation

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分人ネットワークとアウトライン・プロセッシング. August 24 2015

人は、自分の中に矛盾をかかえながら生活している。その矛盾とどうつきあっていくのかという問題は、誰もが生活の中で出会う、大切な課題のひとつ。

作家の平野啓一郎さんは、『私とは何か』[1] で「分人 dividual」という言葉を使いながら、この矛盾を解決する方法論(世界観と呼んでもいいだろう)を提案している。

この作品は、たとえば「こうすれば、あなたの人生が変わりますよ」というような、いわゆるコツをリストアップした技術論の本ではないし、たとえば問いを徹底的に普遍化したり抽象化したりしながら、その答えに迫るといった哲学的なアプローチをとった本でもない。

にも関わらず、これほど本質的で新しいアイディアを、多くの人びとの納得できる形で提案するやり方があることに、ぼくは驚いた。個人の経験論で終わっていないし、反証可能な形である (何故か分からないけどうまく行きましたよー、ではないし、書いてあることをとにかく信じなさい、でもない)。

平野さんは、そのアプローチをこう説明する。

私は学者ではない。小説家だ。従って、語られる内容は、最初から最後まで、具体的な話ばかりである。無駄な複雑さを極力排して、可能な限り、率直に、シンプルに、わかりやすく議論を進めたい。

そう、シンプルさに根ざしたわかりやすさが、このアイディアの基礎になっている。


「分人」という言葉は道具である。

人は、環境に依存して自分の行動を変える。つまり、今これから何をするか、まわりの人の言動やそれ以外の環境、たとえばそばにネコがいるのかライオンがいるのかによって行動を変える。これは当然のことである。生態学に携わる人なら、周囲との相互作用に依存して生まれる意思決定のダイナミクスとか言ってしまいそうなややこしい現象が、この一言でイメージできる。「分人」は、人びとが「個人」の可変性を理解し、受け入れやすくするための道具である。

そして「分人」という言葉は、「個人」という世界観へのアンチテーゼである。たぶん。

「個人」という世界観のもとで育つ多くの人は、他人のふるまいを観察し、あるいは家族や友人、学校の人たちとのやりとりをとおして、たとえば、こんなことを学習する。

自分の意思決定ルールに一貫性をもたせなければ、他の人からの信用を失いますよ。それは、人の社会で生きるあなたにとって、深刻な問題になるはずです。

意思決定に一貫性のない人を信用してはいけませんよ。とくに社会グループの一員として、それを野放しにしてはいけません。

上っ面だけを強調する感じで書いたけど、もっと本質に迫る形で、それこそ人生をかけてこの一貫性の大切さを証明した人たちもいる。

たとえば Descartes は『情念論』という名著で、そして Spinoza は『エチカ』という大著をとおして、「人に嫌われるから」といった受動的な視点を徹底的に排除しても、ぼくらが直感的に、誠意とか謙虚と呼んでいるような心持ちが、普遍的に価値あるものであることを証明した、と理解している。

平野さんはこの「個人」をベースにした世界観に対し、敬意を払いつつ、でも勇気をもって挑戦している。


この挑戦がすばらしいと思う点は、いくつかある。

ひとつめは、上に書いたように、人のふるまいは、環境に依存して変化する (部分が大きい) ことを積極的に認めていること。個人を場面ごとの存在として分けてとらえ、それに分人という名前をつけ、それらの分人どうしがちがうことを大らかに認めよう、という世界観である。

2つめは、分人どうしの、緩やかな平等性を重視していること。自分の中に特別な分人などいない、本当の私と仮面をかぶった私といった、分人どうしの区別をしないという考え方だ。

3つめは、その分人の存在をある程度必然のできごととして認め、それらをある程度平等な存在と見ながら、できるだけ「自分」が好きな分人の割合を増やす方向に育てるという方法を提案していること。個人の可塑性を認めながら、その可塑的な要素のネットワークをある程度方向性をもって育てよう、という方法論である。


そしてここで、アウトライン・プロセッシングの登場。

ぼくはこの、緩やかな分人ネットワークを育てようという方法論が、アウトライン・プロセッシングととても相性がいいと考えている。

たとえばぼくの場合、家族や友人と会話していてこれだと閃いたり、本や論文を読んで感動したり、仕事で大忙し祭りがあって、何だか気分的に追い詰められたときの対策を思いついたりしたとき、アウトライナーでフリーライティングし、自分のアウトラインファイルに入れておく。そのエッセンスをひとつのセンテンスにまとめたタイトルをつけて。

このアウトラインを使えば、ぼくを構成する分人ネットワークのひとりである今のぼくが、きのうや1か月前、あるいは5年前のぼくの分人が書いたフリーライティングを俯瞰でき、それらの階層を上りながら新しい形に育てることができる。

これは、緩やかな分人ネットワークを育てる作業のひとつに他ならない。きっとたぶん。


最後に、ぼくが、この記事を書きながら Spinoza たちのとった「個人」という世界観でも「分人」という道具が使えることに気づいたことを、しるしておきたい。万が一うまく育ったら、そのアイディアを紹介したいと思っている。

『私とは何か』や、その基礎になった小説『ドーン』[2] が出版されてから3年経っている。平野さんやそれを読んで賛同した人たちが、どのような方法論を育てているのかも、とても興味あるところ。

  1. 平野啓一郎. 2012. 私とは何か. 講談社現代新書.
  2. 平野啓一郎. 2012. ドーン. 講談社文庫.


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