on outline processing, writing, and human activities for nature
この記事を読んだ。
「six albums of the year (2018版)」
Hibiki さんは、年末に3つの音楽アルバムを紹介する記事を、少なくとも2011年から書きつづけている。
今回は、選んだ音楽アルバムが6つに増えているけれど、それについてあれこれ説明しないのもいい。
2011年12月の別エントリーでは、3つにしぼる前の大きなアルバムリストも見ることができる。
たくさんの中から、3つだけ選ぶ意味も。
この記事には、似たパターンを踏襲しながらも、それまでの積み重なりがなければできない文章の深みがある。
たとえば今回の記事なら、音楽サービスを iTunes から Spotify に変えたことで、音楽そのものをゆっくり楽しむ時間が増えたというくだり。
たとえば、ライブやクラブへ行ったりする時間が増えた理由として、週次レビューするようになったことが関係していそうなこと、さらには週次レビューできるようになった仕組みには、万年筆と情報カードが関係してそうなことなどなど。
8年分の記事を読むことで、あるいはそれを読んだ自分を思い出すことで、静かに沸き起こる感情がある。
翌年の同じ時期に、いったいどんな文章が書かれるのか。予想できるはずないけれど、何となくできるようにも感じたり、でもやはりそんなこと無理だと考えたりする。
ぼくは、音楽をあまり知らない。ここに挙げられたアルバムを多少でも聞いたことのある人が読めば、8年にわたるリストの変化は、さらに多くを語っているのだろう。
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北米やヨーロッパの Pen community (万年筆好きの人たちがつくる緩やかなネットワーク) のサイトでは、たぶん Hibiki さんと似た理由で、その年に出会った万年筆トップ10やトップ5といったタイトルの記事や動画が、12月あたりからたくさんアップロードされる。
万年筆のいいところは、そうして選ばれる万年筆リストに、その年の新製品だけでなく数年前、あるいは数10年前に新発売されたペンも混ざっていたり、数万円あるいは数10万円する製品と一緒に数千円クラスのペンも堂々と並んでいたりするところ。
でもそれ以上にすばらしいのは、ペンをとんでもなく大量に持っている人もそうでない人も、みんなが腕によりをかけて厳選した数本のペンについての情報を、読んだり観たりできること。
選ばれたペンもレビュアーによって様々であり、選ぶ理由も様々ある。でも、「人それぞれ、自分の好みがあっていいよね」といったシンプルな多様性賛辞だけで終わらせたくない、何かを感じる。
それは、ペンレビューのフェアなコンペティションであり、多くの人が一目置くような、つまりレビューのためのレビューではない、何年たっても色あせない、本当に多くの人たちに役立つレビューが生まれる場になっている。
そのレビューたちはメーカーをも動かし、本当の意味でユーザーのことを考えた製品の生まれる土壌になっているようにも見える。
同じレビュアーの過去数年間のトップ10のペンの記事や動画を見直すと、万年筆界の変化だけでなく、レビュアー自身の歴史も合わせて楽しむことができる。
万年筆が好きで好きで、とにかく買い求めていた時期から、万年筆とのつきあい方が成熟する過程を感じることもある。
その変化の総体を通してこそ、味わえるものがある。
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時は流れ、人は変わり、人のつくりだす社会も一か所にはとどまらない。
人々が発信する情報も、情報を受け取る人たちも、そんな情報とは関係ない人たちも、人と関係ない生きものたちも、そして生きものでないものたちも変化する。
その中で、同じテーマを題材に繰り返し書く。
誰にも赤を入れられたり編集されたりすることなく、自分の納得できる形で公開する。
その時点その時点で、自分にとっていちばんの文章を公開する。
その繰り返しの中で、発信されつづける情報にこそ生まれる何かがあるのだ。