gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


職人

芸術家は、第一に、職人、仕事に通じ、自分の仕事を愛する人たちであった。(アラン. 芸術. わが思索のあと. 森 有正 訳. 中公文庫)

人々の創造性は、どのように育つのか、そして育てられるのか。

アランの本を読んでいると、職人と呼ばれる人たちのもつ特徴が、創造性の鍵になるように感じる。

そして創造性は、ぼくたちが幸福感を持ちながら生活する鍵にもなると、彼は考えているように読める。

だから、アランの芸術に関する文章は、幸福を楽しみながら生活するための、コツを教えてくれる。

「職人である」とは、現場 (フィールド) を主な仕事の場とし、現場で役に立つ技術や道具を自分のものにしている人のことだろう。

そして「仕事に通じる」とは、その技術や道具の意味について、自分なりの見通しを立てていることだろう。

「自分の仕事を愛する」とは、何はともあれ寝ても覚めても、食べるように息をするように、その仕事と一緒に生きることだろう。

現場という言葉は、たぶん広い意味にとっていい。デスクワークしている人にとっては、机の上が現場であることが多い。

ただし、厳しいアランは、単にデスクワークのためのデスクワークを現場とは呼ばないかも知れない。平たく言うと、給料をもらうための労働時間を消費するために、その場をしのぐための課題を見つけそれを解きほぐすような作業場を、現場とは呼ばないだろう。

それはデスクワークに限らない。ただ現場に身を置いているだけでは、彼の言う「職人」ではない。ぼくの場合だと、研究費を得るためだけに考えた研究のフィールドは、現場ではない。

日々出会う課題を、時間をかけて腕によりをかけて解きほぐすべき課題なのか、そうでない課題なのか、嗅ぎ分けることが大切なのだ。

この時、大切な課題とそうでない課題といった形で、単純に二分できないことに気をつけなければいけない。白と黒のあいだの灰色をした課題がほとんどなのだ。

そして、もっと大切なポイントは、その課題の価値は取り組んでいる人たちが見つけるものでもあること。言い換えると、自分が取り組んでいる課題の価値を見つけている人こそ、「職人」なのではないか。

旅に出て、偶然出会った職人たちの物がたりに魅せられることが多い理由は、ここにある。