gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


ひとつのアウトライン主義

Tak.さんの著書では、アウトライン・プロセッシング outline processing の大切な鍵が提案されている。

アウトライン・プロセッシングとは、思いついたアイディアの記録を文献やオンラインで集めた情報と合わせ、操作しながら自分のアイディアを育てる技術。そして、手にしたアイディアを人に伝える文章にしながらさらに育てる技術であり、アイディアを日々の忙しさと共存させるだけでなく、より長い時間の流れの中に按配する技術でもある。

これらの提案の中でも、とくに大切で分かりやすい提案のひとつが、すべての情報をひとつのアウトラインに集めるという提案だと、ぼくは考えている。

情報をひとつのアウトラインにまとめることは、ぼくたちが想像する以上にダイナミックに変化する情報を操作するための方策である。ある瞬間に大きくちがう役割を担うように見える情報どうしが、別の瞬間には似た役割を担う情報に変化したり、合わせることで新しい別のひとつの情報に変化する。しかも「同じ」情報の役割が人によってことなる場合も普通にあり、上の変化が人やグループなど、エージェントの数だけちがうダイナミクスをたどる。

情報を1か所に集めるだけでも、情報どうしを並べ変えたり、まとめたり、別のアイディアに書き換えたりと、情報が按配しやすくなる。しかしそれだけでは、何かが足りない。だから、アウトライナーのファイルひとつに集めるというのが、もうひとつのポイント。

アウトライナーは、集められた情報断片の操作を容易にする道具である。とくに、見出しなど特定の階層を固定しない機能をもつアウトライナー (プロセス型アウトライナーとTak.さんは呼んでいる) は、ひとつのアウトラインを構成する要素の階層を自由に変化させることが可能で、情報ダイナミクスへの対応能力が高い。

その一方で、アウトライナーは情報構造化の方法として階層構造、つまり樹状構造にしかできないという制約をもつ。しかし、この制約こそが、情報のダイナミクスを操作する上で重要なガイドになる。集めた情報に樹状構造を持たせることで、そのアイディアが他の人にも理解しやすくなるだけでなく、それを操作しているぼくたちのアイディアを育てることができるのである。

(情報の集まりに樹状構造をもたせることで、なぜ多くの人が理解しやすくなったり、アイディア全体が育つのか。そのメカニズムについても、ゆっくり議論したいところですが、それはまた別の機会に。リンクなどでつくる網状の構造のもつ長所との対比が、あえて樹状に制約する効果を理解する鍵になると考えています。あとプログラミングの話しとも関係ありそう..)

しかし、アイディアに樹状構造をもたせるだけでは、やはり何かが足りない。だから、その構造をもったアイディアを、わざと壊す。たとえば、俯瞰しながら論理の流れがいちばん悪そうな場所を見つけ、それを解決するために別の樹状構造を探してみる。あるいは、特定の細枝から上を眺めて、その枝のよさをもっと生かすための太枝や全体の樹状構造を試してみる。これは、Tak.さんの言う「シェイク」と似ているか同じ作業。

経験的には、勇気をもって再按配を何度か繰り返すことで、アイディア全体の階層が上がることが多い。でももちろん、全然ダメダメになることも少なくない (笑)。そして個人的には、この再按配をしなかったアイディアや文章は、あとの自分が見直してもおもしろくないことや、分かりやすさも今ひとつのことが多い。しかし、これも個人的な感想だけど、この再按配は小さな勇気だけでなく集中力が必要なやっかいな作業で、その大変さを小さくしてくれるのもアウトライナーである。

だから、アイディアはひとつのアウトラインに集める。そうすることで、自分が手にしたアイディアを、しごとや日々の生活、そして人生を支えるアイディアに育てるための、大きな一歩を踏み出すことができる。

この提案のもつ意義は、とても大きい。